こんにちは。
外科医のもぐたんです。
2011年3月11日。私は手術室にいました。
東日本大震災の発生から15年を迎えましたね。
最初に、震災によってお亡くなりになられた方々に改めて哀悼の意を表し、ご家族の皆様にお悔やみ申し上げます。
また、被災された多くの方々に、心よりお見舞い申し上げます。
当時の私
当時、私は初期研修医1年目で麻酔科で研修を行っていました。
来月から2年目で、仕事としては毎日緊張はしながらも研修医として少し慣れてきたかなという時期だったと思います。
地震が発生したときは産科麻酔で予定帝王切開の手術を丁度終えようとしていた時でした。
大きな揺れで必死に麻酔器を支えていたのを覚えています。
帝王切開後の妊婦さんはまだ腰椎麻酔を行っていたため、まだ下半身が麻痺している状態でした。
もちろんベッドから動けずの状態。
一緒に付き添って最終的には無事に帰室することが出来ました。
直接お話する機会はありませんでしたが、本当に怖い思いをされたなと思います。
関東でしたし、ひどく建物に被害が出たわけではないですけど、あの揺れを意識のある状態で体感し、足が動かせないという恐怖は、きっと一言では言い表せないですよね。
あの揺れを、今でも体が覚えています。
原発事故のニュース
その後も第一原発の爆発の瞬間のニュース映像が流れた際には、
麻酔に入っていない研修医は家に戻って、荷物をまとめて逃げる準備をしなさい、
と指令がでたり…。
色々ありましたね。
あのときの1年は、被災された方はもちろんのこと、東日本を中心にみんな大変でしたよね。
東北で外科医を
特に意識をした訳では無いですが、1年後に東北で外科医としての生活を始めました。
大きい都市だったので普段生活をしていて震災の影響はあまり自分では感じませんでしたが、
「この1年は大変だった」とよくお話を聞きました。
その勤務先では、数カ月に1度石巻の方で当直をする機会があり、石巻へ車で出向いていました。
初めて見た石巻
初めて石巻に赴いたときは震災から1年経っていたものの、
本当に、言葉通り瓦礫の山で。

まさに言葉を失ったことを覚えています。
動かすことの出来ない巨大な看板、
ひっきりなしに土砂や瓦礫を運ぶトラック、
海辺や海岸沿いのおそらく集落があったであろう、流されてなくなってしまった今はなき街の面影。

今までテレビで見ていた、なんとなく遠い世界だったものが、まさに目の前に広がっていました。
これを見た時、
“あー。まだ全然終わってない出来事なんだ”と改めて実感したものです。
今まで、そしてこれから
東北での後期研修医生活を2年送った後、関東に戻りましたが今も月に1度東北での当直は続けています。
内陸部では今はほとんど震災の影響は感じません。
しかし折りに触れ、ニュースなどで遺体の一部が発見されたり、
未だに被災した我が家に戻れず、避難所生活を強いられている方々が多くいるのが現実ですよね。
15年が経ち、その間に娘も生まれ、震災を知らない世代も増えてきています。
私たち世代でも戦争や関東大震災を知らないように、少しずつ風化していってしまうものかもしれません。
しかし戦争は人為的なものですが、地震や水害は天災として日本ではいつか起こるものだと思います。
南海トラフだっていつ起きるかわかりませんもんね。
子供たちに私たちの経験、教訓を伝えつつ、自分たちも身近に出来ることから風化させず、忘れずに、次回の糧にしていきたいと考えています。
とりあえず、防災グッズの見直しなどしていこうかな。
東日本大震災発生15年に寄せて徒然と書いて申し訳ありませんが、
私の記録として残させていただきたいと思います。
それでは、また。
2026年3月11日 Drもぐたん
